「オレがやらなきゃ誰がやる。今すぐしなけりゃいつできる」 小学5年の夏、転校に際し担任の先生が色紙に書いてくれたこの言葉。 半世紀経った今も忘れられない座右の銘です。 人口減少、少子高齢化、グローバル化、デジタル革命、カーボンニュートラル、防疫対策・・・ 20年30年先の将来に向けて、今やらなければならないことは山ほどあります。先送りはできません。 子どもや孫が大きくなった時に、「住んでてよかった」と思える地域社会を創っていくことが私たち政治家の責務です。 県政3期目、未来を見据え、民間企業と浜松市議会議員で培った経験を活かし「元気な静岡県」を創っていきます。
コンセプトどおり、オートバイが戦後の浜松の復興に果たした役割の一部を知ることができます。
ズラズラ並ぶメーカーの記事。
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「世界第3位」、「日本一の軽単車王国」、「メーカー21工場」、「下請工場も150を突破」の文字が踊る 。
「1年に20数社が脱落」、「軽車ブームも今は夢」。
何ともはかない物語です。
でも戦後浜松の象徴だったことには変わりありません。
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昭和32年、浜松市が中心になって北九州市で宣伝会(展示会?)をおこなった時のパンフレット。
北九州市は当時、製鉄や後背地の石炭産業に支えられた古くからの政令指定都市ですから、今でいう「トップセールス」によるシティプロモーションですね。
市を挙げてやっていたんですね~。
美術館では見れない浜松モデル、丸正自動車の「ライラック」。博物館ではお目にかかれます。
このほか、写真やカタログなど、「え~、こんなにたくさんあったの!」とビックリするほどのバイクメーカーの資料が展示されています。
会場は美術館に比べると小さいですが、なかなかこちらも見ごたえ十分です。